311いのちを守る被災地視察研修の実施

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311被災地視察研修、今夏2回目実施/コロナ禍対策万全に、東日本大震災の知見を共有

宮城教育大学は8月19-22日、南海トラフ巨大地震等の全国の災害警戒地域の教職員を対象に、東日本大震災の知見を学ぶ「311いのちを守る被災地視察研修」を実施しました。

昨年4月に発足した「防災教育研修機構」(通称・311いのちを守る教育研修機構)による取り組みで、同年8月に続き2回目になります。

3月、8月の年2回定期開催企画ですが、ことし3月は新型コロナウイルス感染拡大を受け、中止になりました。8月研修には全国から60人の申し込みがあり、密回避のため参加者数を大幅に絞り込んでの実施を決定。2週間前からの健康チェック、移動中・宿泊先の感染対策徹底を確認し、四国、近畿、東海地区などから校長、教頭、市教委指導主事、教諭ら13人の参加を得て、予定通り3泊4日の日程で被災地を巡りました。

視察先、研修内容は初回とほぼ同じです。岩手県釜石市鵜住居地区、宮城県南三陸小戸倉地区、石巻市大川小跡地など被災した学校跡などを巡りながら、当時の校長や遺族らから話を聴き、ワークショップなどで学校現場の災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。終了後のアンケートでは、全員が「期待以上だった」と答え、成果を所属先や地域に伝える役割を誓いました。(詳細は下記、概要報告をご覧ください)。

宮城教育大学は、東日本大震災の伝承と啓発による防災教育の発信強化を責務と捉えており、震災10年の節目を重視して、教員を目指す学生や首都圏の教職員などの視察研修も強化しています。コロナ禍の影響は続きますが、311被災地視察研修は今後も年2回、定期開催する方針です。開催が近づきましたらご案内します。多くの教職員の参加、派遣を期待しています。

【概要報告】

  • 日程

・令和2年8月19日(水)-22日(土) 3泊4日

・詳細日程は、別紙1の通り

・参加費等の案内文書は、別紙2の通り

  • 参加者概要

・高知県3人、静岡県3人、北海道2人、兵庫県、大阪府、奈良県、三重県、宮城県各1人

・小中高校の教諭、市教委の指導主事、中高一貫校校長ら

・男性11人、女性2人

  • コロナ対策

別紙34の通り

  • 主な視察地と寄せられた感想(視察順)

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

 

 

 

・指定避難所に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を伝承館館長の案内で視察

「杉ノ下地区のように、指定避難場所になっているところが被災しているのが、私たちの防災を考える上で非常に興味深かった。小野寺さんのお話が、心に残った」

「当時のことが考えられない何もない場所に、当時の高校の傷跡が残されている校舎のギャップが、当時の惨状を逆に印象深いものにしていました」

【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の3年生と2年生の案内で視察

・当時の東中副校長がオンライン参加し、震災時の対応を詳細に説明し、意見交換

「奇跡が奇跡では無いという現実と、実際にそこを逃げた語り部のお二人のお話が本当に心打つものでした。中学生の判断力や行動力でできることと事前指導の大切さや課題など、想定していた自分の知りたいことがすべて解消されました」

「生徒だった菊池さんと教員だった村上先生と意見交換することを通して、生徒側の視点、教員側の視点の両方から当時のことやこれからの学校防災体制の在り方について示唆をいただくことができた」

【南三陸町】旧戸倉小学校

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・児童90人が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたり、意見交換

「防災(避難先等)に関する職員間の温度差が職制も含めあるのが現実だが、防災は立場を越えて考えをだしていく必要があるという言葉に共感できた」

「どんな判断であれ、苦しい判断であり、不安の中でベターな判断しかできない心構えを教えていただきました。また、避難先で小学生を安心させる工夫や管理職の役割の大切さもよくわかりました。教員同士の日ごろのコミュニケーションが取れることは命を守ることにつながることを実感できました。また、その後に起こるPTSDのことも考えた避難行動が将来を見据えたものなるのだとわかりました」

【石巻市】旧大川小跡地

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を、娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

・1時間にわたり、意見交換

「以前から何度も報道で見聞きしていたが、実際にその場に行くと、自分の理解があまりにも偏っていることに気づかされました。やはり、どこかで「自分は大丈夫」と考えており、それはきっと大川小学校の先生方と同じであったのではないかと思いました。自分が足かせであることに気づき、今だからこそ南海大地震に備えなければならないという強い使命感を持ちました。わが子を亡くされた佐藤先生のお話は本当に心を打つものでした」

「学校防災体制の在り方を学ぶ原点だと感じた。提出するためのマニュアルではなく、子供のほうを向いたマニュアルにしなければならない」

【東松島市】野蒜地区の旧野蒜小、慰霊碑、伝承館、高台移転復興地

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・当時6年生だった語り部学生の案内で、野蒜小の被災現場、祖父を亡くした自宅跡を視察

・避難所になった石巻西高校の教訓、防災の要点を元校長から聴き、語り部学生交えて議論

「若い方のお話は非常に心にのこります。おじいさんのお話は心にのこりました。伝えたいことは伝えなくては、という言葉を学校の子どもたちに伝えたいです」

「市内の教員はこれまで避難所運営を経験したことがないので、教員がどのように運営にかかわったかを知ることができた。また、子どもたちの力が大変役立ったこともうかがい、普段から誰かのためになる、命を大切にする心を育てておくことが必要だと感じた」

【宮城教育大学】被災地の子どもの長期ケア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・石巻市で子ども支援から地域支援への活動を広げるNPO副代表の講話を聴き、議論

「震災後の心のケアを行っている。私は、この点にあまり認識がなかった。元の状態に戻ることができるか、それとも新しい状態を目標とするのか、どのように考えたらいいだろうと考えた」

「特別支援学校で長年勤務し、重度重複障害児の在宅訪問教育の担当をしてきた経験と、現在もNPO法人の障害児支援の非常勤のスタッフとして関わってきているので、共感できるものが大きかった」

【仙台市】荒浜小震災遺構

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・宮城県内で初めて公開された震災遺構の小学校と居住不可になった被災地域を視察

「震災遺構を身近に体験できる点。学校が被災するということはどういうことかを感じ取ることができる。津波の威力を、地域を俯瞰しながら考えられる点も特徴としてある」

「あののどかな海辺・川辺の地区が、一日にして忌まわしい記憶の残る場所になってしまったということ、正しい行動をとっていれば防げたということのギャップを感じられる」

  • 総括ワークショップの様子と事後寄せられたリポートの抜粋

 

■市教委指導主事

「私は、初めて震災の現場に立って言葉を失いました。語り部の方々の思いにふれ何も言えませんでした。ただただ、これまで感じたことのない大きな破壊力のようなものを全身で感じ、受け止めて理解しようとすることで精一杯でした。「全員が助かった学校」でも地域には救えなかった命がありました。「助けてー」と海から聞こえてきたけれど何もできなかった生存者がいました。渦に飲まれていく年寄りを体育館ギャラリーで見届けることしかできなかった小学生がいました。「3階に逃げたら大丈夫」、「防災センターに逃げたら大丈夫」、「ここにいたら大丈夫」という信頼が、絶望に変わった町がありました。フェンスの隙間から生きようと駆け出した若い命がありました。流された家の中の生存者に一晩中声をかけ続けた高校生がいました。津波の恐怖の中で自然と対話し判断し、手を引いて1.6㎞走り続けた先に生き延びた多くの命がありました。避難場所の夜空で星座を学んだ先生と子どもたちがいました。生と死が同時にある避難所に、混乱を整える子どもたちの姿がありました。私は、いくつもの命の現場に立って感じ取ったことや語り部の一人ひとりから受け取ったバトンを確実に私の周りの人につなげる決意です。行政の立場で、状況がそれぞれ異なる学校であっても「子どもの命を守る」という点において、一歩も譲らない覚悟で防災・減災関連事業を実施していく決意です。それこそが救えなかった命を生かすことになると思います」

■中学校教諭

「2012年の夏以来、気仙沼大島を中心に何度も足を運び、震災がどのようなものか自分なりに学びを進めていたつもりではあった。しかし、これまでの視座がいわばどこまでも旅人のものであるのに対し、今回は初めて教師という視座から震災を見つめ直すことになった。「子どもの命を守ることができるか」という問いかけに対して、僕自身がどこまでその答えを持ちうるのか、考えさせられた日々だった。(中略) 「防災教育は、命と向き合う教育」。多くの語り部さんから、繰り返し伝えられた言葉である。だが、これまでの取り組みを振り返ったとき、知識の伝達のみに終始したり、避難場所までの速さを向上させるだけに終わったりしていたようなところが多い。しかし、命を守るということは単に死なずに済むというだけではない。その人の尊厳を守り、人生を守るということでもある。さらにはその人の家族までも守るということになる。その向き合い方は、僕たちの先人が実践してきた同和教育であったり、様々な人権教育であったり、さらには昨今のコロナ禍で引き起こされている差別事象への向き合い方と大いに響き合う。今後現場で今回の研修をもとに少しずつ実践を重ねていくことになるわけだが、「命と向き合う」とはどういうことかを念頭において、血の通った防災教育をつくっていこうと思う」

■小学校教諭

「いかに普段の防災教育や避難訓練が大切であるかをあらためて感じました。なぜなら、自然の力は人間の想像を遙かに超えてくるということを実感したからです。実際に見た当時の遺構は、「まさか」という感想を当たり前のように裏切る場所が多くありました。また、新しく場所を移して作られている市街地や堤防等からも、それを感じました。何もかも新しい建物を見るなかで、津波はすべてを無にしてしまうことをひしひしと感じました。このような脅威と共存していくためには、人間も十分な備え(ものの備え・心の備え)をしておく必要があります。子供、学校職員、地域住民すべてが当事者意識を持って取り組んでいかなくてはいけません。その中でまず、自分には何ができるかを考え、手がけていきたいと思いました」

■中学校教諭

「この大災害に関わる事柄を、語り部として次世代へと伝承していこうとする方々を目の当たりにして、私も教師として、“命を守る立場にいる”ことを再認識させられました。そして、豊富な知識と柔軟な思考力を持つことが、自らの命のみならず、他者の命を救うことに繋がることを強く感じました。私は理科教師なので、授業の中でも地震のメカニズムや怖さを伝えてきたつもりですが、今回の研修を通して学んだこと(想定・備え・判断力の重要性など)を、今後は防災教育としても、子どもたちや地域の方々に伝えていきたいと考えています」

■小学校教諭

「「映像で見るもの、聞くこと」と、実際に目の前にあるものを「見ること」や目の前にいる人から「聞くこと」には大きな違いがあり、心の中まで入り込んでくる「訴える内容」や「伝えたい気持ちの強さ」は、今回のような研修に参加しなければ得られないものであると感じた。(中略)研修で心に残った言葉「点呼とらなくていい。早く逃げろ!」「決められた場所にいるだけでは、安全とは言えない。」「率先避難者たれ」「津波てんでんこ・命てんでんこ」「助けられる人から助ける人になろう」「山や高台が命を守るのではなく、山や高台に逃げるという行動が命を守る」を子供たちに伝えながら、「自分で考え、自分の命を守る行動をとることができる子供」を育てていくことが求められるのだと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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