2019年8月25日ー28日 311いのちを守る被災地視察研修(南海トラフ沖地震想定地域教員向け)

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311いのちを守る被災地視察研修の実施

東日本大震災の学校現場の知見を南海トラフ巨大地震等の備えに生かす

~概要報告/宮城教育大学が初めて本格実施した現職教員・教育関係者の視察研修

宮城教育大学(仙台市青葉区)は8月下旬、3泊4日の日程で、南海トラフ巨大地震等の全国の災害警戒地域の教職員を対象にした東日本大震災被災地視察研修を実施しました。ことし4月に新設した「311いのちを守る教育研修機構」(正式名称・防災教育研修機構)が企画した新規の取り組みで、四国、近畿、東海地区を中心に29人が参加。岩手県や宮城県の被災した学校跡などを巡りながら、当時の校長や遺族らから現地で話を聴き、意見交換やワークショップを通じて、学校現場での災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。

宮城教育大学は、被災地唯一の教員養成単科大学として、東日本大震災の伝承と啓発による防災教育の発信強化を責務と捉えており、今後この被災地視察研修を同じような内容で年2回程度、3月と8月に定期開催する方針です。都道府県、自治体、教育委員会、学校において下記の概要報告を参考に、研修について理解を深めていただき、今後も多くの教職員の参加、派遣を検討いただきますよう、お願い申し上げます。

NHKおはよう日本での特集についてはコチラをご参照ください。

◎開催概要

・令和元年8月25日(日)-28日(水) 3泊4日

・詳細日程は、別紙1の通り

・参加費等の案内文書は、別紙2の通り

 

◎参加者概要

・高知県4人、兵庫県3人、大阪府1人、和歌山県3人、三重県1人、静岡県6人、長野県2人、東京都1人、埼玉県1人(ほかに地元関係行政機関、宮城教育大の学生ら7人)

・小中高校の教諭、市教育長、県教委・市教委の指導主事、中学校校長、高校副校長、小学校教頭、特別支援学校事務長など

・男性23人、女性6人

 

◎主な視察地・研修の内容と参加者の感想(視察順)

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

・指定避難所に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を伝承館館長の案内で視察

「津波の衝撃で街がどのように変わったかが分かりやすいのではないかと思った。杉ノ下地区の様子や向洋高校の教室の中など震災を知らない世代にも伝わりやすい」

「伝承館は津波の映像を見てから校舎を見学し、最後に被災者の思い、命の大切さの映像を見て思いをポストイットに書くというプログラムが印象に残った」

「同じ海抜12m。先人の教え、言い伝えを守って指定避難場所で亡くなった人、指定避難場所でなく海側の水産加工会社社長の別荘に逃げ込んで助かった人、階上中学校まで避難して助かった向洋高校の生徒たち。考えさせられるものがあった」

【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の東中副校長、3年生の案内で視察

「当時の状況などを伺うとなると、生徒、教員どちらかの面からになりがちだが、今回は両面から同時にお話が伺うことができた。そのことで、生徒の気持ちもうかがい知れて今後の防災教育に非常に役立つ体験ができた」

「地域で起きたことと学校で起きたことの両方が学べたことが良かった。また、学校での防災活動や避難の様子、その時の心情など教員と生徒両方の目線から知れたことが良かった。どんな思いで防災に取り組んでいけばいいのか具体的な活動内容まで考えることができた」

「実際に避難した経路を歩き、津波がどこまで押し寄せたかを肌で感じることができた。 なぜ生徒たちは助かったのか(「防災教育は楽しかった」「同じ内容の訓練はしない」)、なぜ地域の人々は命を落としてしまったのか、学校防災や地域防災を見直さなければならないと考えさせられた」

「当時生徒であった語り部の話は子どもたちにとっても身近に感じるところがあると思うので、現地に行き話を聞いてもらいたい。より高く遠くへ避難することで救われた命がある一方で、防災センターで命を落とした方もいることを理解し、日々の防災訓練への取り組み方を考えてもらい、自分の命を守るために判断と行動に移せる子どもたちになってもらいたい」

【南三陸町】旧戸倉小学校

・90人の児童が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

「地震津波は必ず来るものとして真剣に向き合い、避難場所等について御自身の考えを周りの教員に押し付けることなく議論を重ねた姿勢を学びたいと感じた。一緒に勤めていた教員を救えなかった無念さを涙ながらに語る姿を見て、心の傷を負った教員が多かったことが容易に想像でき、教員も含めた心のケアの大切さを考える機会となった」

「過去の被害や防災の知識は全く役に立たず、自分で判断して行動できることが大切という言葉が印象に残っている。避難場所について2年間議論し、地域の人たちと意見交換を行う等、災害時のことをしっかりと考えることが、いざというときの判断、行動の際に役立つと感じた」

【石巻市】旧大川小跡地

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

「佐藤敏郎先生の言葉は重く響きました。大川小学校は未来を拓く場所として、私たちも学んでいきたい。救うべき命・救えた命・救いたい命・救ってほしい命・救えなかった命・輝いていた命、その真ん中に立つということはどういうことか。考え続けていきたい」

「「命を救うのは山ではなく、山に登るという判断と行動が命を救う」という言葉を聞いて、子どもたちが自分で判断と行動ができるような防災教育や避難マニュアル、訓練が必要であると強く感じた」

「子供たちの命を救えなかった教師の思いも理解したうえで、遺族としての立場からお子様を亡くされた思いや命を守ることの重さを伝える姿に心を打たれた。学校経営理念の中心に「子供の命」をおくこと、防災は明るく楽しい未来を創造することなど、災害を経験した教員としての立場から重みのあるお話を伺うことができた」

「命を真ん中にする、という話。防災に限らず命を守るという私たち特別支援学校での取り組みとそのまま通じることが多かったのと、お子さんが実際に亡くなっているという立場、教員という立場、両方が分かってとても辛いだろうに両方の立場から話をしてくれたのが分かりやすかった」

【東松島市】野蒜地区の旧野蒜小、慰霊碑、伝承館、高台移転復興地

・当時6年生だった語り部学生の案内で、野蒜小の被災現場、祖父を亡くした自宅跡を視察

・避難所になった石巻西高校の教訓、防災の要点を元校長から聴き、語り部学生交えて議論

「当時の小学校で防災教育が無かったことや、地区の指定避難場所が河川の真横の近くという事に大変驚いた。学校だけでなく、地域・行政においても防災に対する関心が低かったと考える。そして、避難した体育館の様子が語られる中で、助かった志野さんは強運の持ち主だったのだろう」

「語り部学生と高校校長先生の語り合いがズシッと心にきた。当時の様子を赤裸々に語る学生。体育館の2階から眺めた景色。ランドセルを前にして待機したその姿。一つ一つの言葉から学ぶことは多々あった」

【宮城教育大学】被災地の子どもの長期ケア

・石巻市で子ども支援から地域支援への活動を広げるNPO代表の講話を聴き、議論

「被災地の子供たちが抱えている問題に目を向けることができた。「震災がきて、救われた」という言葉はあまりにも重すぎる」

【仙台市】荒浜小震災遺構

・宮城県内で初めて公開された震災遺構の小学校と居住不可になった被災地域を視察

「住宅の跡地を見てからの荒浜小へ。荒浜小では黒板や掲示物が自分たちの教室と同じようなことが書かれていることや、町の模型などでこれまでの暮らしを想像できるのではないか。跡地と比べることで津波の被害の大きさが分かる」

「仙台市街地近郊でもこのような被害に遭っており、災害は日常と隣り合わせであることを感じて欲しい。実際に災害が起きたときにはどのように生き延びるかを低学年からでも肌で感じてもらえる場所だ」

◎参加者のリポート「東日本大震災と防災教育」から(抜粋紹介)

❶中学校教諭

「未災地の我々が、被災地の方々から学ぶ。」この文章は、この研修に参加する前に提出したレポートの最後の行のまとめに使った一節である。この3泊4日の研修に参加させてもらって、改めて学ぶことが必要であることを実感した。

この研修を次にどう生かすか。それは「伝える」こと。学校現場にいる者だからこそ、生徒に伝える。教員に伝える。保護者、地域等に伝えることができる。生徒には「防災教育を日常的なものに」ということを伝えたい。被災地の事も紹介しながら、防災教育をもっと生徒の日常に近づけるべきではないかと。災害、災害と、非日常のものを見ながら、何かあったら身を守るだけではなく、もっと日常的(普段の取組)な教育の中で力をつけることで、それが災害時に活用されるという形がベストだと。教員には被災・支援体験を持った人から「心の声(直接被災者の声)」を学び、その姿勢を持った人が防災教育をすべきだと。これからその姿勢を持った教員を育てる中で、直接被災、直接支援をした人達からきちんと学べるようなシステムが必要であり、教員を育てる必要があると考える。

❷中学校教諭

言葉にできない、心揺さぶられる時間を過ごしました。今回の訪問先は全て一度訪れた場所でしたが、自分の年齢や経験、立場が変わる中、改めてそれぞれの場所を訪れ、震災を経験された本物の皆さんにお話を聴けたことで、教師としてだけでなく、「人」としてもう一度初心に返り、目の前の子どもたちに本気で教育活動に関わっていこうと覚悟を決めるきっかけをいただきました。

何より考えたことは「語り継ぐ」ということの本当の意味です。語るというのは実際に経験した人にしかできないことですが、継ぐというのはそれを聞いた人が伝えることなので、聞いた人なら誰にでもできることです。今回震災の辛い経験を乗り越え、私たちに本音で心からの想いを伝えてくださった語り部の皆さんに対して、その想いを継ぐためにも、まずやらないといけないことは「自分を見直す」ことだと気づかされました。

伝えることももちろん大切ですが、今回の研修をきっかけに自分を見直し、自分に矢印を向け、日々命を輝かせることこそが、亡くなられた方への供養や、語ってくれた人たちに対しての恩返しにつながると信じています。

そして現地の人の想いを心から受けとめ、目の前にいる大切な人や子どもたちに恩送りをしていけるようにしたいです。今後の自分の人生にとっても大変貴重な研修でした。参加させていただき、心から感謝致してしております。

❸高校教諭

私はこの研修を受講するまで、防災教育は「重く悲しいもの」という気持ちがどこか頭の片隅にあった。しかし、実際はそうではなく、本質的に「大切な命」の話であり、また、その教育を行う側には「責任を果たす義務」があることを改めて再認識した。四日間の研修を経て、多くの被災地を巡見し、語り部の方のお話を聞き、改めて自然災害の恐ろしさを感じるとともに、自分自身の防災教育の在り方を再考する絶好の機会になった。「防災教育」は生活や学業面などすべてのことに共通する部分があると感じる。それは、いずれの場面でも「行動力」が必要不可欠で、そのためには判断が必要になる、そのためには経験知が必要になるというところだ。今後もこの研修で学んだことを生かし「防災教育」を通じて生徒と自身の成長をはかっていくことを決意した。

❹県教委指導主事

私は、自分や家族、生徒の「命を守る」ために、何をしてきたのか。何ができるのか。何をしなければならないのか。自分事として考えることができているか。子どもたちに考えさせることができていたのか。「命を守る」ことについて、深く考えさせられた4日間であった。どこか遠い他人事のように感じていた部分が、実際に被災地の現状を見ることや被災地で被災者の方の話を聞くことによって、よりリアルで臨場感のあるものとなった。近い将来、南海トラフ地震が起こっても、命が助かり、苦難を乗り越えていけるような子どもたちを育てていかなければならないと思った。

この4日間の研修を終えて、自分にできること、やらなくてはならないことを改めて考えた。まずは、教員を育てること。そして、子どもを育てることだと思う。教育の力は今だけではなく、これからの未来を作っていくものだと思う。だからこそ、人を育てていかなければならない。自分で考え行動できる人を育てる。そんな子どもを育てることができる教員を育てなければならない。教員の意識が変われば、「命を守る」という当たり前のことが当たり前に、そして最優先される教育の風土が創られるようになると思う。

私がこれから実行することは、次年度以降もこの研修に、若年教員が参加し、学び、広めていくことができるように、計画を立てていくこと。次年度の被災地訪問で、高校生に何を学ばせ、どのような力を身に付けさせたいのかを明確にし、計画を立てること。今回の研修でいただいたご縁を生かし、次年度につなげていくこと。一人でも多くの人の命を守るために私にできることを進めていきたい。

❺特別支援学校事務長

今回の研修を通じて、「単なる歴史上の一日ではなく、なぜ、今、過去の悲劇を知ることが重要なのか」を理解するに足りる「防災教育」が、子どもたちだけではなく、私たち大人にも必要だと感じた。震災を知らない者もあの日を部分的に追体験できる遺構や資料館は、さらに遺品や写真を収集して、どのような時代に変化していっても、今を生きる人たちが訪れた時に犠牲になった方々と生き延びた方々の双方の背景にあったことを強く刻み込む場所となることが望まれる。

一方「命を守る判断力と行動力」を身につけ、かつ、適度の緊張感を維持して、いざという時にそれを実践できるようになるには、一つの学校レベルの課題ではなく、行政を含め、環境が異なるそれぞれの学校や家庭、地域において大人も子どもも一緒になった取組が急務である。そうした意味においても今回の研修は目が覚める経験となったことから、マニュアルの見直しや教職員全体に研修参加を推進することなども含めて、受け身にならずできることからどんどん取り組んでいきたい。

❻高校教頭

釜石東中学校は校長不在で副校長の的確な指示、判断、行動で生徒や職員を助けた。戸倉小学校は2年間に及ぶ避難場所の話し合いにより高台への選択肢を校長が得て実行。しかし大川小学校は校長不在で避難の判断がつかず犠牲者をだす。管理職がいなくても、自分たちで判断・行動ができるような職員集団をつくりたい。そのためにも、自分の仕事に責任を持たせ果たせるように支援していきたい。

マニュアルは想定外のときに命が守れるかというもの。判断と行動をするために必要なもの。だから、子どもの命を守ることを中心に据え、マニュアルをもとに訓練をし話し合いを行い見直しをし書き直し組織作りをする。まだまだ分厚いマニュアルなのでシンプルに実効性のあるマニュアル作りに努めたい。災害時アクションカードの作成を検討してみる。最後に。今にも起こりそうな南海トラフ巨大地震。正常性バイアスの塊である教職員、地域住民に「子どもの命を守る」「自分の命は自分で守る」ことの意識改革をしていきたい。

❼中学校教諭

たくさんの重みのある言葉、力のある言葉に出合った4日間だった。その一つ一つの言葉から、そして時に涙を流しながらも一生懸命語りかける語り部の方の姿から、考えることが多く起こった。例えば、これまで自分自身が経験してきた避難訓練一つとっても、全員が逃げる訓練であったか。事務や給食の方の参加はどうだったのか。命を守る訓練たりえていたのか。防災マニュアルは本当に命が通っているものであるのか。

私は、防災教育を「未来を創る教育」という言葉に置き換えて、これからの学校づくりを考えていきたい。研修後、市の防災危機管理課に立ち寄り、連携を模索した。市の防災計画の冊子や全家庭配付の防災マップを改めて開いてみた。防災マニュアルのアップデートや防災訓練の見直しというミクロな視点と、ESDの考え方でカリキュラムをマネジメントするというマクロな視点で考えていこうと思う。震災遺構が語りかけてくる言葉を聴く努力を続けながら。

❽小学校教頭

三泊四日の「被災地防災視察研修」は,私にとって大変意義のあるものとなりました。災害を経験された講師の先生の話をこちらで聞いて学ぶのと大きな違いがあり,現地に行ってその場に立ち,その土地の空気を吸い,当時の状況を想像する,この体験は私自身の教育観や人生に影響するものだと感じています。研修を受けて改めて重要だと思ったことは,この研修の学びを伝える必要性です。伝える方法は2つです。1つ目は本校の「防災マニュアル」を見直すこと。「防災マニュアル」の見直しでは,これまで気づかなった部分や疑わなかったことに着目する自分が存在していることに驚きを感じました。また,同僚に説明するときにも宮城で得られた情報を伝えると,同僚の納得する姿があり,研修の成果が実感できた瞬間でした。

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